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スタッフブログ
2025年01月23日
ブログ
爪トラブル
足について
日本の履物の歴史をざっくりと
こんにちは、巻き爪ケアヨネクラ船橋店のAです。
好きなマンガは数あれど、リアルタイムで追っているのはワンピースのみ。続きが気になって毎週月曜日を待ち遠しく感じています。
今日は日本の履物について、ざっくりお話ししようと思います。
聖徳太子も履いていた
昔の人が履いていたものというと、草履や下駄を思い浮かべる方がほとんどだと思いますが、実は古代の上流階級の人たちは靴のようなものを履いていました。平安時代のスポーツ『蹴鞠』の時も専用の靴を履いていましたので、用途によって使い分けされていたんですね。
くつを漢字で書くと『靴』革で作られたものを表していますが、日本のくつは『沓』と表し、木や布なども使われていました。現在でも神社の神主さんが儀式の時に当時のような靴を履いています。
千利休の足元
戦国時代から安土桃山時代に生きた茶人、千利休は雪駄を愛用。
そもそも雪駄とは?防水加工された草履が始まりとされています。
丿貫(へちかん)という名前の千利休の知人が、濡れた道を歩いても滑らないようにと、牛革を貼って作ったとされています。
もとは農具
下駄の起源はおよそ2000年前、稲作が始まった弥生時代でした。
水田の中で足が沈まないように、幅広で歯のない田下駄(たげた)が元になったとされています。仕事の道具として始まった下駄も江戸時代にはファッションアイテムになっていきます。
日本人も高身長に憧れた⁉︎
町人文化が栄えた江戸時代、ファッションへの意識が高まると、背を高く見せたいという欲求も生まれてきたようです。花魁道中の下駄は、衣装や髪飾りが豪華になるにつれ、バランスを取るために高くなっていったとされています。
洋靴を履いた初めての日本人
初めて洋靴を履いたと言われている人、それが坂本龍馬。
幕末、外国に派遣された日本人が靴を履いたという記録は残っていますし、江戸期、長崎の出島では海外からの物流もありましたから、もしかしたら別の人が初めてを経験したかもしれません。が、明確に記録が残っているのが坂本龍馬ということで、彼が定説になっているようです。因みに日本で初めて新婚旅行したのも龍馬らしいです。
きう靴(窮屈)
洋靴を実際に履いて見たところ、窮屈だったり、靴擦れができたりと、いいことばかりではなかったようです。明治維新期、アメリカやヨーロッパ諸国に派遣された岩倉使節団の1人、佐佐木高行の日記に「沓モ、日本人ハ大キクテ甚ダ見苦敷トテ、一同小サキヲ買求メタリ、窮屈ニテ足痛ミ難儀ナリ、文明開化モ随分困難ノコトナリト、人々ト談笑致シタリ」という記述があります。
裸足禁止令
それまで日本に存在しなかった病気、ペスト。
海外からもたらされた病気は1899年(明治33年)に日本で大流行しました。
ペスト予防のため、1901年東京に『裸足禁止令』が出されました。それまでは裸足で生活している人も大勢いたということになります。
衛生面を考えてというのが表面上の理由ですが、裸足をなくすことで、首都の体面を重んじるという動機もあったようです。
その後、下駄が大量に作られるようになり、全国に庶民の履物として浸透していきます。
さいごに
昭和30年代以降、日本人の日常の履物は下駄から靴へ変わっていきます。靴を履く以前は以後と比べて足のトラブルは少なかったと言われています。
草履や下駄は足指を使い筋肉が鍛えられることで、足裏のアーチの崩れを防ぎ、扁平足や体の重心バランス、姿勢の改善も期待できると言われています。
そのため、巻き爪の予防にも期待ができると思います。皆さんが和装以外で草履や下駄を履いて外を歩くのは抵抗があると思いますので、家の中で、スリッパの代わりに草履を履いてみるのは良いかもしれませんね。
「巻き爪が痛い」「爪が切れなくて困っている」「タコ、魚の目が痛い」などのお悩みの解消を、巻き爪ケアヨネクラがお手伝いいたします。予約制となっておりますので、Webまたはお電話でご予約いただいてからの、ご来店をお願いいたします。カウンセリングは無料となっておりますので、お気軽にお問い合わせください。みなさまのご来店、心よりお待ちしております。